時の記念日

(2026.06.10 No.203)
6月10日は「時の記念日」なので、これにちなんだ話題を省庁のプレスリリースから探してみましたが、あいにく見つかりませんでした。
「時の記念日」は国の祝日ではなく、民間団体の啓発活動として広まったという経緯[1]だからでしょう。

時の記念日に関連した資料[2]をたどって記念日の由来を調べました。
この資料から、わが国の「時」について意外なことがらを知ることができました。

●日本人は時間の感覚に乏しい?
1920年(大正19年)5月~7月に生活改善同盟会と文部省が「時の展覧会」を東京で大々的に開催しました。

展覧会の目的は、
「本邦人が時に関する観念薄きため、時間行動励行を謀り生活改善に資する」
ことにありました。

●隔世の感
今や日本の公共交通機関の定時運行はじめ、時間を守る日本人のイメージは世界的に広まっています。

ですから、上の趣旨文のように大正時代の日本人は時に関する観念が薄かったと言われると、どうもギャップを感じます。

●「時の記念日」の由来
この展覧会では時に関する装置、珍しい時計などの展示、その他教養のための資料展示がされたようです。
東京の市民が21万人以上(当時の東京市人口の6%)が訪問したと記録されています。
展覧会開催中に中心となる日として、天智天皇が漏刻を用いて時を報じた日を選び、「時の記念日」と決めたとあります。

●午砲(ドン)
太陽暦と1日24時間制を導入した明治以降、日本でもそれなりに時間に合わせて生活するという習慣が根付いてきました。
国民皆兵制度による軍隊生活や、工場労働の増加です。これらの組織活動では時間を守ることが重要となります。

しかし今のようにインターネットはおろか、通信も携帯時計も普及していなかった当時では、時を伝え、共有する手段が限られていました。

図1は大正9年時点での報時システムです。

図1. 大正9年時点での報時システム([2]より引用)

まず東京天文台(当時、麻布)で子午儀と振子時計によって計測した標準時を、有線でほぼ毎日、正午付近の一定時に関係部署に連絡していました。
市民が時計合わせに頼りにしていたのが、有名な皇居の午砲(ドン)です。
午砲によって各地域の電信局や停車場が時計を合わせ、一般市民はそれらの時計を元に自宅の柱時計を合わせるといった具合です。
当時は一日に一回は柱時計のネジを巻いて時計合わせをしないといけませんでした。

当然、時刻に誤差が生じてきますが、まことにアナログな方法なのでしかたありません。

●時間を守ることは婦人のたしなみ?
この時の展覧会の広報活動には女学生がかなり動員されたと書かれています。主催者の生活改善同盟会が主として婦人及び女子教育関係者の組織であったこと、また当時の名士が自分ではなく、夫人や女中を展覧会に見に行かせたという記録もあります。
根拠はあいまいですが、柱時計の時刻合わせのように時間を守ることが婦人の役割とみられていたのかもしれません。

●縦割り組織と職場崩壊
しかし、資料[2]を読んでいてもっと驚いたことは、この報時システムにおいて最も重要な役割をもつはずの東京天文台では、

「書記1名モ出勤セズ、不都合千万ナリ.上官ヨリ御注意アリタク」(観測係執務日誌、大正9年1月22日)

といった状況を示していたことです。

「天文台ニ於テ夜間報時ハ天文台ノ仕事ニ非ズ、逓信省ノ仕事ナル故」(同執務日誌、大正6年3月6日)

という記述からは、天文台としては天文観測が本来業務であり、報時は本来は逓信省(現在の総務省)がやるべき副次的な仕事という認識でした。
したがって報時の装置に対して満足な予算割り当てもなく、ベテランがどんどん退職し、若い職員が十分な訓練もないまま、多忙な報時システムをになっていたわけで、ほとんど職場崩壊の状態だったことがうかがわれます。

●現在の時報システム
現在、総務省が標準時の通報に関する業務を担っています(総務省設置法第4条1項68)。
そして総務省所管の情報通信研究機構(NICT)が、情報通信研究機構法に基づいて標準時を生成し、これを標準電波などの方法で国内外に通報しています。
しかし厳密に言うと、日本の標準時は次の2つがあります[3]。

日本標準時(JST):NICT(総務省所管)
中央標準時(JCST):国立天文台(文部科学省所管の自然科学研究機構(NINS))

つまり総務省は「標準時を通報する」役目、文部科学省は「標準時を決める」役目と言えますが、JSTとJCSTは完全に同一ではないため、この役目の違いは微妙です。

現在、郵政省(現総務省)と文部省(現文部科学省)の共同告示(1962年4月25日付)により、
・NICTが通報する標準時については
・国立天文台の決定する中央標準時を使って
・その偏差を算出し、
・これをNICTにおいて公表する
としています。

今では縦割り行政にならずにすんでいるようです。■

図2. 情報通信研究機構の20157うるう秒通報([4]より引用)

[1] ウィキペディア「時の記念日」 https://ja.wikipedia.org/wiki/時の記念日
[2] 関口直甫「時の記念日の起源と、大正年代の報時事業について」、科学史研究 第58号、日本科学史学会、1961年4-6月、pp.16-23 (国立国会図書館デジタルコレクション) https://dl.ndl.go.jp/pid/2380306/1/10
[3] ウィキペディア「日本標準時」 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本標準時
[4] ウィキペディア「閏秒」 https://ja.wikipedia.org/wiki/閏秒

Follow me!