余剰と不足

(2026.02.26)
1月26日に日本成長戦略会議の人材育成分科会第1回が文部科学省で開催されました。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/sonota/005/giji_list/mext_00001.html
日本成長戦略会議は高市首相の肝入りで2025年11月に発足したもので、これから成長が期待できる分野(17分野)と分野横断的課題(8課題)を定めてそれぞれ分科会で構成する体制を作っています。
そのうち「人材育成」の課題については文部科学省がとりまとめ責任を負って分科会を開催します。
●今さらながら・・・
この分化会の中で、経済産業省から報告された「2040年の就業構造推計について」[1]が波紋を起こしました。
翌日(1月17日)付けの新聞[3]で”AIロボット人材、340万人不足”という見出しでまず普通のトーンで伝えられましたが、その2週間後(2月16日)に”経産省が公表した~~の衝撃的な内容”というセンセーショナルな見出しが付け加わったコラム[3]が発表されました。この後、教育・就職関連サイトにこのコラムが引用されて広まってゆきました。


上図のように、従来の予想とは異なり、全体として大きな人手不足は生じないが、「AIロボット人材」が339万人不足し、代わりに「事務職」に437万人の余剰が生じる、といった表現が刺激的だったのでしょう。
とりわけ敏感に反応したのは教育や人材紹介の業者です。
経産省の報告は今回の分科会で初めて現れたものではなく、すでに昨年春に明らかになっていました[4]が、やはり注目されるのはタイミングしだいということです。
数年前から人材の需給ミスマッチは話題になっていて、新聞にも具体的な指摘が現れています[5]。
この手のニュースはこれまでの情報処理関係の事柄を知っている者にとっては、”昔、どこかで聞いたような話”です。
経済産業省はじめ各省庁が”○○人材が足りなくなる”というたびにニュースに取り上げられますが、1年も立たないうちにいつしか消えていくという定型パターンになっています。
●狼少年の所業
そういう定型パターンはもはや狼少年なみと言ってもよいでしょう。
20世紀末に「2000年問題」というのがありました[6]。
西暦の下2桁が00になるタイミングで、さまざまなソフトウェアがエラーを起こすから、それを補修する技術者が足りないというわけです。
世界中で大騒ぎしましたが、幸い大きなトラブルは発生せず、それを乗り越えたソフトウェア業界の努力は認められるべきです。なんとか技術者は足りたわけですから、人手不足という騒ぎは何だったのでしょう。
その後も理工系の人材が不足しているという報告が各所から次々に現れています([7]~[10])。
これらがかれこれ30年近く繰り返されてきた”不足”アピールです。
しかしこのようなアピールに応えて専門技術者の数が劇的に増えた気配はありません。
具体的な技術者数ではありませんが、大学の在学者数の推移を追ったものが図3です。この図の「工学」の分野にさまざまな技術者の卵が入っているはずですが、ほぼ横ばいです。

●興味と将来性
なぜでしょうか。
これから学校に通う、あるいは企業に就職しようとする若い人を想定してみます。
まず、その人が情報処理技術などに興味がある、あるいは好きであるかどうかです。このような人は自然とその道を選ぶ可能性が高いでしょう。絵が上手な人が画家をめざす、音楽が上手な人がプロ演奏家をめざすのと同じでしょう。
しかし現実には大半の志望者は途中であきらめて、もっと堅実な職業をめざします。本人の意志だけでなく、親や教師など周辺の人たちの意見にも左右されます。
次に、情報処理技術に興味がない人が情報処理技術者をめざすには、得意でなくても専門知識を勉強しようという強い動機がなければなりません。
たとえば医師の場合には、医学にさして興味がなくても、難関を突破して医師となれば、ある程度の将来は約束されます。
どんな職種にせよ、”将来にわたって魅力的な職業”として選好される必要があります。
しかしAI技術者の将来は保証されません。
今や”ソフトウェア開発は自動化”とまで言われ始めました。
日々進化する技術を苦労して追いかけつつ、逆にAIに追い越され、使い捨てられるのではないかとおびえる気持ちを持ち続けます。
情報処理技術者は今の需要はあるものの、将来にわたってとても安心できるキャリアパスとは見えません。
●笛吹けど踊らず
経済産業省や文部科学省が”○○人材が不足”とさかんに囃しても、将来が見えない進路をなかなか選ばないのが人情です。
もちろんどのような環境変化にも柔軟に対応できる人もそれなりにいるでしょうが、大半の人は人生設計において臆病になります。
では国(行政)ができることは何でしょう。
●教育のラインを変える
明らかに理系の人材が不足することが明白になったので、文科省は今の大学の教育を理系側に寄せることを考えました。
つまり、大学(特に多くを占める私立大学)の文系学部・学科の一部を理系に転換させようという政策です。私立大学も民営ですから、少子化の中でいかに付加価値を付けて多くの学生に入学してもらえるか悩んでいます。そこで国が大学の学部再編にともなう費用を補助しようとするものとして、「理系転換基金」を2022年度に創設しました[11]。
さらに受験生を送り出す高校に対しても、理数系強化の改革を交付金を新設して推進しようとしています[12]。これによって高校と大学の需要供給はバランスできます。
これでとりあえず教育産業は維持できそうですが、肝心の学生の将来については心もとない状況ではないかと思います。
●後でも路線変更ができる仕組み
情報処理技術者に限らず、どのような職業であっても時代の波を受けて衰退していく可能性があります。
上の”○○人材は余剰だが、△△人材は不足”ということは、要するに○○分野から△△分野に人が移ってほしいという政府の希望メッセージと受け取られます。
となると、人生の途中で○○分野から△△分野へ移動できるように再教育を受けるということの重要性が増します。
個人のレベルではキャリアパスの付け替え、企業レベルでは社内教育の充実や外部人材の活用、国レベルではそのような人材育成への税制・補助金の支援や教育制度の整備ということがポイントになります。
働く側にとっても、これからはAIが競争相手になることを覚悟しなければならないでしょう。数学や科学が苦手とはもはや言っていられなくなりました。
●貪欲さ
ハローワークに勤めていた知人から聞いた話です。
以前、「雇用保険」(2023.05.18)で書いたように、ハローワークでは単に失業者へ職を紹介するだけでなく、職業訓練も紹介しています(求職者支援制度[13])。求人の多そうな分野で、技を身につけられるいくつかの訓練コースが用意されています。
その窓口にやってくる人の中で、外国籍の人はたいそう熱心に説明を求め、少しでも自分にとって条件の良い訓練コースを探そうとするそうです。
それに対して日本人は若い人を含めて、職業訓練に関心が薄く、危機感が少ない傾向が見えるそうです。
競争やさまざまな社会的制約の中で揉まれてきた外国人のほうが、仕事探しや支援制度のメリットに対して貪欲だということでしょう。逆に言えば日本人には生きていくための貪欲さが足りないということでしょうか。■
[1] 日本成長戦略会議人材育成分科会第1回(2026年1月26日)資料2 「2040年の就業構造推計について」(1月27日修正版) https://www.mext.go.jp/content/20260203-mext-kanseisk01-000047142_6.pdf
[2] 朝日新聞「AIロボット人材、340万人不足 経産省が40年の推計を公表」(2026年1月27日)
[3] 河合雅司 ”経産省が公表した「2040年の就業構造推計(改訂版)」の衝撃的な内容”、マネーポストWEB(2025.02.16) https://www.moneypost.jp/1368764?_from=widget_ranking_pc
[4] 新しい資本主義実現会議第34回(2025年5月14日)資料14「2040年の産業構造・就業構造の推計」 https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai34/shiryou14.pdf
[5] 日本経済新聞「増えた大卒、職とミスマッチ 「事務希望」は17万人過剰」(2025年1月19日) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE1525V0V11C24A1000000/?msockid=04a4ef5dba2866d017d3fc61bb756794
[6] 内閣コンピュータ西暦二千年問題対策室「コンピュータ西暦2000年問題に関する報告書」(2000年3月30日) https://www.kantei.go.jp/jp/pc2000/houkokusyo/honbun.pdf
[7] 厚生労働省「平成13年版労働経済の分析」第5節 情報通信技術革新に対応した人材育成 https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/01/
[8] 総務省「平成25年版 情報通信白書 第1部第3節(5)人材の不足」 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h25/html/nc133150.html
[9] 文部科学省「理工系人材育成戦略」(2015年3月13日) https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/03/13/1351892_02.pdf
[10] 経済産業省「IT人材需給に関する調査」(2019年3月) https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/jinzai/houkokusyo.pdf
[11] 文部科学省「大学・高専機能強化支援事業(成長分野をけん引する大学・高専の機能強化に向けた基金)」 https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kinoukyouka/index.html
[12] 文部科学省「高校教育改革に関する基本方針(グランドデザイン(仮称)) 骨子」(2025年11月28日) https://www.mext.go.jp/content/20251128-mxt_koukou01-000046079_01.pdf
[13] 求職者支援制度のご案内 https://www.mhlw.go.jp/content/001073991.pdf
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