消費者の弱さ
(2024.10.02)
9月17日に、消費者庁にて第10回「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」が開催されました。
https://www.cao.go.jp/consumer/kabusoshiki/paradigm_shift/010/shiryou/index.html
この専門調査会は、超高齢化やデジタル化の進展等の変化によって、消費者の取引環境が変わってきたことに対して、消費者法制度をどのようにとらえるかを議論しています。
2023年秋から2024年夏にかけて、デジタル化等の影響を議論した後、2024年秋から”さまざまな手法を組み合わせた、実効性の高い規律のありかた”の検討に入っています。
このタイミングで、これまでの検討内容を整理しておこうとしたのが、今回の議題である「中間整理」です。
●消費者の立場
もともと商品については事業者(売り手)のほうが消費者(買い手)よりもたくさんの情報を持っています。何を原料にして、どのように作り、原価はいくらか等々は事業者側にしか情報がありません。消費者は十分な情報が提供されないまま、買わざるを得なくなります。
そこで、消費者法制度は、消費者と事業者との間の情報・交渉力の格差を埋め、さらに問題性の強い取引や契約に対抗するものとして位置付けられてきました。
●どのような脆弱性があるのか?
消費者は生身の人間ですから、さまざまな「脆弱性」を持っているという考え方に立ちます。
そもそも消費者の脆弱性にはどのようなものがあるか、を中間整理では分析しています。
例えば、高齢者が年齢を経るごとに認知症等によって判断力が低下する傾向にあるとか、若者が大人と比べて契約に関する知識や経験が少ない傾向にあることが挙げられます。このような属性を持つ人は消費者被害にあう危険性が高いといえます。
また、すべての人が持つ脆弱性として「認知バイアス」とよばれるものがあります。
最初に提示された印象的な情報がその後にも影響を及ぼす(アンカリング効果)とか、多くの人が支持しているものにより多くの支持が集まること(バンドワゴン効果)とか、さまざまな認知バイアスが知られています。
さらに、人は誰しも状況の影響によって合理的に考えることが難しくなる事態に陥る可能性があります。
人間は、本来ならば直感的な思考モードと、熟慮する思考モードを使い分けているとされます。しかし、熟慮が必要な場合に熟慮を妨げられて、直感的な思考モードのみで行動するように強制される場面があります。
人をせかしたり、焦らせたりして目的に誘導しようとする詐欺的な行為がそれにあたるでしょう。
●「強い個人と自由」の幻想
近代の法律では、「強い個人による自由かつ自律的な決定」が前提になってきました。
しかし、現代の消費者は、
・デジタル化の進展によって、取引の複雑化や個別化が進み、
・情報過多と時間制約の中で、誰にも頼れずに個人で選択をしなければならない
という困難の中にあります。それに、
・認知バイアスをたくみに利用した販促手法
が輪をかけている状況です。
強い個人とか自由、自律という前提が成り立たなくなっていることは明らかです。
ではどうするか。
この専門調査会の議論においては、
・消費者ならば誰しも脆弱性を持っているという認識を法制度の基礎に置く
・それぞれの脆弱性を分類して、厳格に定義づけていくことは本質ではない
としています。つまり必要な範囲で脆弱性を具体的にとらえておけばよく、総体的で網羅的に脆弱性を考えなくてもよいという考え方です。
●グラディエーション
消費者の脆弱性といいつつも、悪質なものから、消費者の認識負担を軽減しながら誘導しようとするものまで濃淡があります。したがって具体的な制度設計では、厳格な「規制」から、秩序を正す「規正」までのグラディエーションが必要であるとしています。
また、個人の幸福追求の結果が社会的に許容されない場合には法が介入することもあり得ます。このように選択の自由を保護するか、結果としての幸福を保護するかを区別することも必要となります。
●時間泥棒
取引の対象はモノや金銭だけではなく、「人々の関心」も重要視されています。いわゆる「アテンション・エコノミー」と呼ばれるものです。
つまり、現代のような情報過多の社会では、人々が払える関心や消費時間はたいへん希少のものになっています。ゲームの利用増大によって、テレビの視聴時間が減少したのがよい例です。
言いかえると、個人が十分に理解しないまま、自分の関心や時間を知らず知らずのうちに事業者へ提供している可能性があることになります。時間泥棒、関心泥棒と言いかえてもよさそうです。
●提供者と消費者
反面、そのような情報や関心を消費者が提供していることは、従来のように上流で事業者が製品やサービスを作り、下流で消費者がそれらを消費するという図式ではないことを示しています。
つまり「消費者」は消費の面でとらえるだけでなく、「事業者」と対極にあって事業者との間で金銭や物・サービス、情報、時間、関心等を「やりとり」している者として考えるべきとしています。消費者は上流に情報や関心といった「原材料」を提供する、いわば「生産」の立場でもあるといえます。
このような範囲まで視野を広げて、消費者の保護を考えていく必要があります。
情報プラットフォームについて、さまざまな場で議論されているのも、単にグローバルなプラットフォーマーが経済的覇権を握ろうとしていることだけでなく、消費者を巻き込んだ社会全体の支配に話が及びかねないからだろうと思います。
●まだまだ続く議論
この専門調査会での議論はまだ続きます。
いずれ、デジタル化によって様変わりした消費者と事業者の関係や、新たな問題点が整理されてくるものと考えます。
●情報的健康
最近、世の中の動向に頭が追いついてゆかない、情報をよく咀嚼しないで丸飲みしている、といった感覚になることがたびたびあります。インターネットで品物を買うときも”買わされている”と感じることが多くなりました。
これらの感覚は自分が老齢化して、頭が固くなったことが理由だろうと思っていましたが、この「中間整理」を読んで、実は社会全体が情報過多であり、それによる刺激が強すぎるのが原因の一つだと理解しました。
電気もインターネットもない、山奥の温泉宿が人気となっているのも、情報過多からのデトックス(解毒)効果を期待しているからではないでしょうか。
体の健康になぞらえて、情報に対する健康を「情報的健康(インフォメーション・ヘルス)」、「情報ドック」、「デジタル・ダイエット」等の言葉で表現している活動があります(※1)。
たしかに、情報についてもわが身のダイエットが必要です。■
※1 共同提言「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言 version 1.0」、鳥海不二夫、山本龍彦、KGRI Working Paper No.2
、2022年1月 https://www.kgri.keio.ac.jp/docs/S2101202201.pdf