そっと後押しする

(2024.12.30)
12月24日に環境省から、「環境省ナッジ事業の実施概要について~長崎における本格的な実証実験~」が発表されました。
https://www.env.go.jp/press/press_04178.html

環境省はCO2削減に向けたさまざまな活動に取り組んでいます。
その一環として、今年7月に長崎県五島市において、電力の昼間の需要量を増やす”上げDR(デマンドレスポンス)”促進の実証実験をおこないました。

●デマンドレスポンスとは
最近、五島でも多くの太陽光発電所が設置されてきましたが、その一方では発電した電気を使いきれず、出力制御という形で発電を止めるケースが多々発生しています。まったくもったいない話です。
そこで、昼間の電気使用量を増やそうとするのが”上げDR”です。一日のうち、夜の電気使用を控えて、なるべく昼間に使用することによって、需要と供給の波を合わせようという考え方です。
DRには他にもいろいろなタイプがあります[1]。

図1. デマンドレスポンスの説明([1]より引用)

●”強制”ではなく”お勧め”で
この実証実験では、お昼12時から午後1時までの1時間の電気使用量が、その直前の11時から12時の1時間の電気使用量を上回った場合、お昼12~午後1時の電気料金を無料にしました[2]。

図2. 実証実験の説明([2]より引用)

もし達成できなくても電気料金は従来と変わらないため、利用者にとってはメリットばかりということです。
一般家庭向けには、昼間に洗濯や掃除をする、昼に夕食準備をする、電気自動車の充電をする、また事業者向けには昼休み時間帯を12~13時以外にずらす等、活動パターンを少し変更するだけでできることを勧めています。

実証実験の結果としては、「昼の電力使用量が増大していることや、例えば空調やアイロンがけの時間を昼にシフトするなどの行動変容があったことが確認できた」とありました。

●ナッジ
環境省は省エネルギーについて、これまでもさまざまな取組みをしてきました。成功体験としては、2005年から開始した「クールビス」キャンペーンがあります。このキャンペーンによる夏の軽装化は広く認知・実践され、日本国内にとどまらず、「定着した行動変容」として海外でも評価され、類似の運動が広まりました。

クールビズは規制ではないので、なんら強制力はありません。
しかしなぜ広まったのか。

その理由として、職場の推奨室温を28度に設定したため、従来のネクタイ姿では辛いという現実的な理由とともに、自分一人だけネクタイを外すわけではなく、職場全体でそういう雰囲気になってきたので、抵抗感が減ったことが大きいのではないかと思います。”赤信号、みんなで渡れば恐くない”の例えが合うでしょうか。

そういう”雰囲気”によって、何となく人の行動を変えさせることをナッジ(nudge)といいます[3]。「そっと後押しする」という意味です。
最近ではナッジを含む概念として「行動インサイト」という用語も使われています。

●BEST
2017年に環境省内の有志によって、日本版ナッジ・ユニットBEST(Behavioral Sciences Team)が作られ、ナッジをはじめとする行動科学の知見を活用して、ライフスタイルの自発的な変革を創出する新たな政策手法を試みています[4]。
同じ2017年のノーベル経済学賞を行動経済学の研究が受賞したことも追い風になりました[5]。今やBESTは環境省にとどまらず、参加者が同じ立場で自由に議論のできるオールジャパンの実施体制になっています[6]。

そして2022年から環境省が音頭取りをして、脱炭素に向けた国民運動として「デコ活」が展開されています[7]。
今回取り上げた五島市の実証実験は、「デコ活」の一環である「ナッジ×ジタルによる脱炭素型ライフスタイル転換促進事業」として実施されたものです。

●余地を残す
環境、とりわけ省エネルギーの課題には、国民一人一人の協力が必要です。
その際に、行動を選べる余地を残しておくのがミソです。
法律で規制して行動の選択肢をなくしてしまうのではなく、選択肢を残した上で”こちらを選んだほうがよいのでは”と勧めるほうが心理的な抵抗が少なくなります。
上で紹介した五島市の場合、上りDRの運動には地域全員が参加する設定になっていましたが、参加したくない人は申し出ることができる余地を残しました。

●看護師の働き方改革
ナッジの応用として面白い事例があります[8]。熊本県のある病院では、看護師のユニフォームを日勤と夜勤で色分けすることによって、自分の勤務時間を強く意識するようになり、超過勤務が減少したといいます[9]。それほどコストをかけることもなく、反対意見も現れず、自然な形で改善が進んでいくという、まことにけっこうな結果になりました。
今、日本全体では働き方を改革しなければ、という機運が高まっていますが、現実にはまだ進んでいないように見受けられます。
無理押しするのではなく、クールビズのように、なるべく抵抗感の少ないナッジを使う余地はたくさんありそうです。■

[1] 資源エネルギー庁「ディマンド・リスポンスってなに?」 https://www.enecho.meti.go.jp/category/electricity_and_gas/electricity_measures/dr/dr.html
[2] 五島市民電力 環境省事業を活用し「夏とくキャンペーン」を実施します https://510power.com/news/2024/06/28/環境省事業を活用し「夏とくキャンペーン」を実/
[3] "nudge"には、「(合図のために特にひじで)(人を)そっと突く、軽く押す」の他に、「うるさく言う、しつこく不平を言う」、という真逆の二つの意味があります。後者はイディッシュ語が語源のようです(ランダムハウス英和大辞典)。単語一つをとっても面白いです。
[4] 環境省・日本版ナッジ・ユニット(BEST)について https://www.env.go.jp/earth/ondanka/nudge.html
[5] 日本経済新聞「ノーベル経済学賞にセイラー教授 行動経済学をけん引」、2017年10月9日
[6] 我が国におけるナッジ・ブースト等の行動インサイトの活用の広がりについて https://www.env.go.jp/content/900447779.pdf
[7] 「デコ活」 https://ondankataisaku.env.go.jp/decokatsu/
[8] ナッジとは? https://jinjibu.jp/keyword/detl/940/
[9] 熊本県医療勤務環境改善支援センター「医療勤務環境改善に向けた県内医療機関の取組事例」(令和2年12月追加) https://www.iryokinmu-kksc-kumamoto.com/wp/wp-content/uploads/kumamoto_torikumijirei42.pdf

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