HUZISAN

(2024.08.04)
7月29日に文化審議会の国語分科会ローマ字小委員会(第2回)が開催されました。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/roman/roman_02/94088201.html

このローマ字小委員会は、5月14日に文部科学大臣から「これからの時代におけるローマ字使用の在り方について」という諮問が出され、それに対応するための小委員会です。
この小委員会の主な検討課題は次の3つです。8月末くらいまでにこれらの課題を整理することになっています。
1 将来に向けてローマ字つづりを安定させること
2 国語を表記する上で十分な機能を果たせるローマ字つづりとすること
3 各分野で定着してきたローマ字表記の慣用を整理すること
これらが課題として挙がっているのは、逆にこれらが現実の問題としてもはや放置できない状態になっているということです。

●懐かしいローマ字
いつごろローマ字を学んだか、はっきり記憶していませんが、今は4年生から(早い学校では3年生から)学ぶみたいです。母音5字(A, I, U, E, O)と子音9字(+濁音5字)の組み合わせという単純なルールで覚えられるようになっています。かなの世界とは違う、なにやら新しい世界に入ったような新鮮な気分だったことを覚えています。
もちろん、その後に中学校で英語に直面すると、ローマ字のような単純なものではなく、言葉の発音と書き方がきれいに対応しないという、不条理な感情を味わったものです。

●なぜ今、ローマ字を議論するのか
ローマ字については、以前より議論が始まっていました。
文化審議会国語分科会の国語課題小委員会(第45回、2021年9月17日)では、国際化、たとえば外来語の表記について議論がなされています。ここでの参考資料にこれまでの施策年表がまとまっていて、たいへん役に立ちます(※1)。
その後、国語分科会が第22期に入った区切りで、下部組織である国語課題小委員会(第51回、2022年6月17日)でローマ字のつづり方や外来語の表記について提議されました。ローマ字小委員会はそれらのうち、ローマ字の課題について集中的に議論する場となっています。
このような議論の元を探ってみると、明治以来のいろいろな話が尾を引いていることがわかってきました。

●明治~戦前のローマ字
古くは南蛮交易が始まった時代から、ラテン文字(アルファベット文字)を使った日本語表記は始まっていますが、日本人が体系立って身につけようとしたのは、明治20年頃になります。
宣教師だった J.C.ヘップバーン(ヘボン)が和英辞書(1886年)を編纂したときの表記体系が「ヘボン式」とよばれるものです。(その後、1954年に研究社『新和英大辞典』第三版で修正ヘボン式が採用されました。)
他方、1885年に田中館愛橘が五十音図にもとづいて体系的に考案したのが「日本式ローマ字」で、さらにこれを改良した「訓令式ローマ字」は、1937年に内閣訓令3号として公的なローマ字法として定められたものです。訓令式といういかめしい名称はこのためです。さらにその後、訓令式は国際規格「ISO3602」として制定されました(1989年)。
(なおこの内閣訓令は、1928年に万国地理学会議が日本の地名のローマ字表記を一定にするよう、日本政府に要望したことが背景にあります(※2)。政府としては統一表記を早く決める必要があったわけです。)

●戦後のローマ字
戦前までは訓令式ローマ字が公式化されていたわけですが、敗戦後は米国の圧力が強くかかることになりました。それまでは日本人が日本語の音を表すためのローマ字でしたが、米国人が発音しやすいものが優先されるようになりました。そのために、今度は「ヘボン式」が支配的になりました(※3)。
また、戦後日本の教育改革を推進するために、GHQが招いた米国教育使節団の報告書(1946年3月31日)には、「国語の改革」として「何かある形式のローマ字が一般に使用されるよう勧告される次第である」とまで書かれました。これを追い風として、日本の民主化のためには難しい漢字学習を廃止し、全国民が仮名文字かローマ字だけを使おうという、漢字廃止論、ローマ字国語論、カナ文字推進等が活発になりました。
結局、1954年にあらためて内閣告示「ローマ字のつづり方」と内閣訓令を出し、訓令式を原則として、”国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り”ヘボン式を用いてもよいとされました。
これで表記法の決着がついたはずですが、結果的には、この例外条件が抜け穴になって、なし崩し的にヘボン式が公的に拡がっていくことになりました。これは当時の行政官が国語審議会の原案を骨抜きにしてヘボン式優勢を図ったためとも言われています(※4)。
その後、現実には漢字は廃止されずに当用漢字1,850字に制限されて、漢字仮名まじり文が生き残りました。他方、ローマ字推進論、カナ文字推進論等の表音化運動は1960年頃には退潮しました(※5)。

●ローマ字利用の現状
身近なところでは、パスポートの氏名はヘボン式と決まっています。これは個人を特定するために、かなり厳格な運用がなされています。
その他の場面で使われている例について、今回資料の「ローマ字のつづり方に関する実態調査 結果の概要」があります(※5)。国内では自治体での使用ルール、鉄道や道路での表示、企業の社名・代表者名、日本人の学術論文著者名のローマ字表記をかなり手広く調べています。海外調査では、日本観光の各国語ガイドブック、各言語の辞書、翻訳された漫画・小説の人名、日本文化等に関する外国語論文、日本人スポーツ選手の人名を調べています。その結果をみると、ほぼすべてヘボン式の圧倒的優勢になっていました。
以上は、1954年の訓令以降、ヘボン式が放置されてきた結果と言えるではないでしょうか。小学校でのローマ字教育で訓令式が指導されてきましたが、わずか数年間だけ訓令式を学んでも、世の中ではヘボン式のほうを目にする機会のほうが多いわけです。それがまたヘボン式表記を無意識に増やす要因にもなります。
また英語学習の浸透とともに、英語の発音とスペルのほうがなじみやすくなっていることも事実でしょう。
またここ30年間ほどの間に、パソコン上でのかな漢字変換が出現しました。たとえば「高校」を入力する際には、「koukou」とキーボードを打ちますが、これは訓令式「ko^ko^」とは異なります(^は長音記号の代替)。今やかな漢字変換を当然として使用しますから、ローマ字の表記との違いが気になってきます。

●結論
ローマ字は日本語の表音をラテン文字で書くための方法である、という原点に立ち返ると、訓令式のほうが合理性を持ちます。
しかし、これまでの表記法を巡る歴史的な経緯や、上の利用現状を考えると、ヘボン式を拡大公認するのが現実的な答えと考えます。表記がゆれやすい長音や撥音についてはもう少し厳格なルールを決める必要があるでしょう。
時代とともにローマ字に求める役割も変わってきました。今では日本語の文章まるごとローマ字で表記することはありません。ローマ字はもっぱら日本固有の名詞・地名等をラテン文字で表記するためのものと言ってよいでしょう。ワープロやパソコンのかな漢字変換技術によって、漢字の制限も不要となりつつあります。ローマ字表記のゆれ問題も人工知能技術によってうまくカバーできそうです。
問題は小学校でのローマ字教育の中身です。ヘボン式をどのようなときに使うか、具体的に教える必要があります。学校で習ったことが、社会では使われないのはなぜか、をどう説明すべきでしょうか。
なぜ、「富士山」は「huzisan」ではなく、「fujisan」なのか。■

※1 文化審議会国語分科会国語課題小委員会(第45回)(令和3年9月17日)参考資料3-1「ローマ字に関する国語施策関係年表」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/kokugo_kadai/iinkai_45/pdf/93390601_10.pdf
※2 青戸邦夫「ローマ字による学術用語の書き表し方」、専門用語研究 No.14、pp.10-16(1997)
※3 GHQ指示ABO500(1945年9月3日)。これは道路標識を米軍兵士に読めるような表記にするために、緊急避難的に採用されたという経緯がある。
※4 「ローマ字のつづり方」 https://green.adam.ne.jp/roomazi/naritati.html
※5 Wikipedia「国語審議会」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%AF%A9%E8%AD%B0%E4%BC%9A
※6 文化審議会国語分科会ローマ字小委員会(第2回)(2024年7月29日)資料6 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/roman/roman_02/pdf/94088201_06.pdf

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